Last Updated on 2022年12月19日 by 村上志歩美
皆さんは看取りのケアと聞いて何を思いますか?
患者さんが息を引き取る瞬間のケアでしょうか?
それとも、患者さんが亡くなったあとの家族のケアでしょうか?
人間は、いつか必ず死を迎える日がきます。
それは、今日かもしれないし、2~3年先、50年先かもしれません。
看護師をしていると患者さんが亡くなる場面に立ち合うことは避けられないと思います。
一般病棟でも、施設でも、緩和ケア病棟でも必ず経験されることだろうと思います。
もしかすると、クリニックや献血センターなどでは経験がないかもしれませんね。
がん患者さんの看取りの経験がある看護師ならば、誰しも一度は「これでよかったのだろうか?」という気持ちになったことがあると思います。
また患者さんのご家族に上手な声掛けができなかった。
看取りのときの担当が他の看護師だったらよかったのに…。
ただでさえ、1人の人間の死を目の当たりにするという非日常を体験するわけですから、そこに看護師自身の気持ちのつらさ、やるせなさ、後悔は付きものでしょう。
看護師の仕事は感情労働ですから、つらくなるのは当然です。
ですが、看護師を続けるのであれば、ほとんどの場合避けては通れない道なので、つらいだけ、後悔だけで終わらせたくありませんよね。
今回は、私の一般病棟(がん看護)での経験から得られた看取りのケアの苦手意識の克服方法についてお話ししたいと思います。
この記事を読むと・・・がん看護にちょっぴり慣れてきて後輩看護師の育成を担う世代(およそ5年目)の看護師が抱える苦悩や看取りのケアの苦手意識を知ることができます。そして、その苦手意識を克服した先にある『一般病棟での看取りのケア』をより充実したものにできます。
看取りのケアに自信が持てないのは、あなただけじゃないんです!
もう自信がないまま後輩指導をしなくていいんですよ(^^)
緩和ケアのスタート
私の緩和ケアは1羽の折り鶴から始まりました。
治療の効果が思わしくなかったある患者さんに対して、2年目になった頃の私は自分には看護師としてできることがないと思っていました。
そんなときにベッドサイドで、1羽の鶴を折りました。
患者さんの痛みや苦しみが少なくて済むように。患者さんがなるべく家族と心地よい時間を過ごせるように。
そんなことを願いながら折り鶴をプレゼントしました。
もう、看護師としてではなく、1人の人間としてできることしか見つからなかったんです。
そこにたまたま主治医が訪れました。
…折り鶴?
俺も折ろうかな。
主治医は、私と一緒に鶴を折って患者さんにプレゼントしてくれました。
もしかしたら主治医も、治療の効果が得られなくなった患者さんに何かしたいけど何もできないと苦しんでいたのかも知れませんね。
これは私の持論なのですが、緩和ケアって誰かのために何かをしたいと思ったときに始まるんだと思います。
提供できる医療には限りがありますが、思いやりの心には底がありません。
このときの患者さんの嬉しそうな顔は10年以上経った今でも覚えています。
どんな高度な医療を受けられるよりもきっと、その心が伝わったときの方が患者さんの心は温かくなるだろうと思います。
医療者の自己満足だと思われる人もいるかもしれませんが、私は自分が思うように動けなくなったとき、この死が避けられないと悟ったとき、自分の安寧を願って鶴を折ってくれる主治医に看取ってほしいと思います。
お金じゃないんです、きっと。
私が最期に求めるのは、そばにいてくれる人の温かい愛情とここに存在していいという安心感。そして、いつ旅立ってもいいという許しなんだと思います。
5年目看護師が感じる看取りの苦手意識
プリセプター制度やパートナーシップ・ナーシング・システム(PNS)を取り入れている病院は多くあると思います。新人教育を任される世代は、概ね3年目~5年目看護師が妥当とされている病院が多いですよね。
3年目看護師ともなると、病棟に慣れて仕事も覚えて、リーダー業務が任される頃であり(私の時代は2年目でリーダーデビューしていましたが)、チームの中心となって活躍している頃でしょう。
3年目だとまだキャリアラダーのコースも終了していないでしょうから、少し未熟なところもあり、先輩の指導をもらいながら働いている看護師が多いのが現実ですよね。
それから5年目になる頃には、完全にチームの中心人物としてテキパキ仕事をして、後輩看護師の模範となることが求められます。
疾患や治療に関する知識や技術は、経験と共に豊かになりますが、では、『看取りのケア』に関してはどうでしょう?
『看取り』って正解がないように思いますよね。
だからこそ、悩むし、モヤモヤするし、成功体験ができないし・・・
そんな中でも新人教育は待ってくれませんよね。
患者さんを救いたいのに看取ってばかり。それに達成感もないしモヤモヤ・・・
自分の看護に自信がないのに、新人に看取りのケアなんて教えてあげられない(>_<)
任される責任は重くのしかかるけれども、自分の中で正解が確立していないことをどうやって後輩に教えていきますか?あやふやな指導になっていませんか?
自分の死生観を持っていないと、なかなか自信を持って看取りのケアなんてできませんよね。
私はそうでした。
患者さんが亡くなりそうになったら医師と家族に電話して…
えーっと、それから患者さんのそばにいて…
家族が来たら家族のケアもしなくちゃいけなくて…
先輩によって指導内容や熱量にも差がありますし、まず先輩もあやふやでしたから、一連の看取りの流れを通して、『これぞ看取りのケア』という自信を持って実践したことはありませんでした。
だから成功体験なんてできないし、看取りってこんなもんか…と流そうとさえしていました。
でもそれじゃいけませんよね。
看護師として働いているのならば、その場にいる患者さんさえケアすればいいなんて考えは通用しません。患者さんを亡くしたあとも生きていかなければならない遺族もケアするのが、プロフェッショナルです。
それでは、具体的にどんなことに苦手意識を持つのでしょう?
- 患者の死の過程が家族に説明出来ない
- バイタルサイン測定と清潔ケア以外にできることが思いつかない
- 意識のない患者を見つめる家族にかける言葉が見つからない
- 泣いている家族になんて声をかけたらいいのかわからない
- 家族に連絡するタイミングがわからない(間に合わない)
- 死亡確認後の流れがわからない
- 家族との関わり方に自信がない
たくさんありますよね。
ですが、ほとんどがコミュニケーションに起因します。
そもそも『看取り』っていつのことを言うのかご存じですか?
三省堂大辞林によると「病人のそばにいて世話をすること。看病すること。看護。」と書かれていて、具体的にいつから始まるとは定義されていません。
ですが、あえて目安をお伝えするならば、死が避けられないものであり、死までの時間が残り1ヶ月以内と予測される時期だと思っておいてください。
時間で考えると、看取りの時期って想像しているよりも長いんですね。
誰かを看取る度に自分の看護に自信がなくなる。
看取ってばかりなんていやだ!
せっかく看護師になったからには救命したい。
私は、がん看護に慣れて任される仕事も増えた頃、ふと看取るばかりの看護師の仕事がつらくなりました。
がん看護って、治療や症状悪化の度に患者さんが入退院を繰り返すので、良くも悪くも患者さんとの信頼関係が築けたり、感情移入しやすくなったりします。
だから、そんな大好きな患者さんを失う体験が続くのって、私たち看護師にとっては寂しいし、悲しい上に達成感はないし、報われない看護になってしまいがちです。
だから燃え尽きそうになるんですよね。
ちなみに私は燃え尽きて転職しようかと本気で悩んでいました。
職場を変えるか、もしくは救命救急センターに移動するか・・・実は、真剣に悩んだ末に6年目になった頃に救命センターへの異動希望を出すことにした経緯があります。
そんなとき、病棟師長が「気分転換に緩和ケアエキスパートナース研修に行っておいで」と推薦してくれました。
その研修に参加したのをきっかけに、私は緩和ケアの魅力にどっぷり浸かって、「命を守るだけが看護じゃない。患者さんは身体のつらさだけで困ってるんじゃない。患者さんの心を守るのも看護なんだ!」と熱血看護師になり、そそくさと異動希望を取り下げました(笑´∀`)
どんな上司に出会えるか、どんな経験に巡りあえるかで、人の考え方や進路は大きく変わります。あのとき、あの師長でなければ、私はおそらく救命センターに異動していたか、もしくは看護師を辞めていたかも知れませんね。
人生って、必要なときに、必要な人が、必要なことと巡りあえるようにできているんでしょう。
一般病棟でできる緩和ケアの限界?
5年も一般病棟でがん看護をしていると、集中治療室や救命救急センター、逆に慢性期病棟やクリニックや美容系など、違う系統の仕事をしたくなる看護師もいます。
もしくは、エステティシャンや飲食店など、看護師とはまったく違う職種を選択する人もいますよね。
ですがそこを乗り越えて看護師を続けるという選択をすると、エキスパートになるという道が開けてきます。もちろん、生活のためにとりあえず看護師を続けるということもありますが。
そのエキスパートというのが、認定看護師や専門看護師であったり、教員や実習指導者であったりもしますよね。管理職になるのが、1番自然な流れですかね。
もし、一般病棟で、それもがん看護の道でエキスパートを目指すのであれば、正直なところ、誰でも壁にぶち当たると思います。
なぜかと言うと、一般病棟には終末期の患者さんだけが入院しているわけではないからです。
がんと診断されたときから、治療期、再発期、終末期・・・様々な時期の患者さんが入退院していきます。
ということは、抗がん剤治療を受けている患者さんを担当しながら、麻薬や鎮静剤を投与している患者さんも担当しつつ、そのご家族の支援もしなければならないんです。
がん看護をしている病棟であれば、看護体制は7対1が多いでしょうか。
患者さん7人に対し、看護師1人の人員配置なのですが、7人の患者さん全員がADL自立した患者さんとは限りませんよね。
がん看護をしていれば、緩和ケアはセットで展開していくものですが、終末期の緩和ケアに限って言うと一般病棟ではなく、緩和ケア病棟へ委ねるケースが増えてきました。
緩和ケアは緩和ケア病棟で提供されるものという誤った認識の方がいたら、今すぐ捨ててくださいね、その考え方。
がんと診断されたときからの緩和ケアの推進と言われている時代です。
さらには、緩和ケア病棟うんぬんではなく、緩和ケアチームが介入する前に、一般病棟でもすべての医療者が緩和ケアを行う(一次緩和ケア)ことが求められるのが当たり前の時代です。
緩和ケアは当たり前に医療者であれば誰でも提供できるはずだと言われていますので、専門家だけが実践するものではありません。
とはいえ、私たち看護師が一般病棟での緩和ケアに限界を感じるときってありますよね。
- 看取りが近い患者だけを担当できない
- 看取りが近い患者の看護度が高く忙しい
- 認知症や抗がん剤管理、転倒予防など他患者の対応に追われる
- 患者や家族からの質問が多く対応に時間がかかる
- 一次緩和ケアができない(医師・看護師の経験と知識不足)
- 治療期の患者を優先してしまう(抗がん剤の時間管理等の問題)
- 自分の担当患者を受け持ちながら、新人看護師の指導もある
圧倒的に忙しくて時間がないということが原因ですし、1対1看護ではないため、多重課題で困りますよね。
助けてほしくても、どの看護師も同じく多重課題を抱えているものです。
本来助け合い精神がある看護師でも、マンパワー不足で協力し合えないことが多いです。
だからどこかで手を抜いたり、先延ばしにしてしまう看護が生まれてしまいます。
「今日は忙しいから無理」とか「足浴は明日にまわそう」とか。
その明日は、本当にくるのだろうか?
生命を守ることが第一で、その他の快となるケアの提供は二の次になることがあります。
ここにジレンマを感じますが、それでも何かできることはないのでしょうか?
一般病棟でできる看取りのケア
では、一般病棟でできる緩和ケアについて考えてみたいと思います。
一般病棟では、緩和ケア病棟のように終末期の患者さんに限らず、診断機から終末期までの様々な病期の患者さんが入院しているのが特徴です。
一般病棟で治療を受けてきた患者さんとそのご家族は、終末期(看取り期)までに様々な苦悩や葛藤を経験してきたということだけは、絶対に忘れてはいけません。
そんな終末期がん患者さんの生きがいは、心地よい看護ケア、楽しかった思い出話を語ること、日常の中に楽しみを抱くこと、不安ながらも現状に前向きに対処することだと言われています。
周囲の支えを感じて、そして周囲の人に心配や迷惑をかけずに
がんと向き合い、自分らしく満足いく生活を送りたい。
それが終末期のがん患者の願いであり、生きがいです。
私が緩和ケア認定看護師になってから、一般病棟の看護師から相談を受けた回数で最も多いのは、特に臨終期のケアに関するものでした。相談件数だけで考えると、臨終期、再発時、診断時という順で相談を受けてきたので、一般病棟の看護師が特に困っているのは、臨終期のケアに関する問題だと考えられます。
ここからは、一般病棟で働く看護師にとっても特に負担が大きいと予測される臨終期のケアについて特化してお話しします。
まず、どうして5年目看護師が看取りのケアに自信が持てないのかというと、やはり日本が核家族世帯が増えてきたこととの関係が非常に大きいと思っています。何十年も昔の家族を自宅で看取るのが当たり前だった時代と比べると、病院やホスピスでの看取りが多くなった現代は、家族というコミュニティから看取りが少し離れたところにあるように思います。
がんに限らず、老衰であったとしても、家族(祖父や祖母)が死に向かって生きていく様を間近で見ることがなくなったんですね。
どういう経過で人は歩けなくなるのか、食べられなくなるのか、言葉を交わせなくなるのか、呼吸ができなくなるのか…そういった時間的な経過を見られないということです。
つまり、昔は当たり前に家族のもとにあった看取りのケアが、今は家族の手から離れてしまったとも言えるかも知れません。
核家族世帯や病院での看取りを望む人を批判しているわけではありません。そういう時代になったから、看取りが私たち看護師にとっても、ごく当たり前のことではないというだけのお話です。
看取りの時期に出現する症状は知っておかなければなりません。
どれくらいの時期になるとどんな症状が出現するのか、知っている看護師と知らない看護師とでは、看取りのケアに絶対差が出ます。
もう呼吸が止まりそう…となってご家族を呼んでも間に合わないことが多いです。この「ご家族をいつ呼ぶか問題」非常に難しい問題ですが、看取りというのは息を引き取る瞬間だけじゃないということをご家族にもわかってもらいましょう。
たしかに、たった1人で息を引き取るのは寂しいと感じるかもしれませんが、患者さんの意識があるときに大切にしてもらったと感じてもらうことが1番なんじゃないかと個人的には思っています。
亡くなるときにそばにいなかったから悪いとか、患者さんに寂しい思いをさせてしまったとか、そういう後悔は絶対いらないと思います。だって、それまでの看取りの時間を十分大切に過ごしてきたご家族だっているんですから。
まずは医療者が「心臓が止まる瞬間」や「息を引き取る瞬間」だけに捕らわれないことです。
死期が迫っている患者のケアで私たち看護師が目指すのは、患者の快適さの保証、尊厳を保つこと、ご家族への配慮として死の過程の記憶を肯定的なものにすることです。
とはいえ、ほとんどの看護師が苦手とするのが、死期が迫っている患者のそばにいるご家族とのコミュニケーションですよね。
患者さんの意識がなくなったときは、さらに困りますよね。
看護師として、患者の状態を把握しておかなければいけないけれども、ご家族との会話に詰まるのが怖くて病室に入りづらいし、質問や沈黙が怖いんですよね。
病室に入るならこれさえ言っとけば大丈夫!という私の鉄板ワードがコチラ▼
失礼します。○○さん、お変わりないですか?
○○さんのお顔が見たくなったので会いに来ました。
表情、とっても穏やかでいいですね。
私も手を握らせていただいていいですか?
まず、患者さんのご家族は、患者さんとコミュニケーションがとれなくなると、悲しかったり寂しかったり、ときには傍にいて自分に何ができるのかわからなかったりして混乱しています。そのご家族の気持ちは理解しなくてはなりません。
意識がないとしても、患者さんの名前を呼ぶこと、尊厳を保って声掛けをすること!
そして、私たち看護師も患者さんのことを大切に思って看護しているということがご家族にもわかるような関わりをすることが大切です。
患者さんが意識がないときに苦しんでいないことを客観的に伝えて、手を握ることで安心感を与えたりするのですが、その際に顔色を見たり呼吸状態をチェックしたり、手を握りながらも末梢冷感やチアノーゼがないか評価します。
自分がそばにいてもできることがなくて・・・
ここに自分がいる意味があるんでしょうか?
感謝しているから何かしてあげたいのに、
結局自分には何もしてあげられないんです。
何かをすることより、ただそばにいることに意味があることってあるんですよ。
会話ができなくてもご家族の話し声が聞こえるから安心されているでしょうね。
今、眉間に皺がないのがわかりますか?苦しいときは苦しい表情をされますから
○○さんは今苦しんでいませんよ。もし変化があったら教えてくださいね。
中には、付き添っていても自分の無力さを感じて動揺するご家族もいます。ただそばにいることにも意味があることを伝えましょう。
それでも何かしたいと思うご家族であれば、患者さんが苦しんでいないことの評価方法を知らせておくことも有効な場合があります。もし、患者のために何かできたと思えたら、ご家族は看取りの場面を肯定的に捉えることができます。
患者さんに起こりうる状態の変化をあらかじめご家族に説明しておくことは重要です。
ちなみにOPTIMのパンフレットはわかりやすく記載されていますので、看護師が見ても勉強になるのでオススメです。
緩和ケア病棟であれば、心電図モニターを装着しないことがほとんどだと思いますが、一般病棟だとなかなかそうはいきませんよね。
その場合、モニターに執着してしまうご家族もいます。「モニターではなく、患者さんを見てあげていてほしい」と伝えてみるのもいいですよ。頑張って生きてきたのだから、最期に機械を見て送り出すのは悲しいものです。
患者さんの生き様を見届けてほしいものです。
モニターの波形の変化などをわかりやすい言葉で伝えておくことも、臨死期の看護師の役割としてはとても大切です。
精一杯心臓を動かして頑張っていますね。
でも、もう少しすると心臓が疲れてくる頃かもしれません。
少しずつ心拍が下がってきたり、もしかすると急激に低下する
こともあるかもしれません。
○○さんもご家族も、これまで十分頑張ってこられましたよね。
説明は難しいですが、現実を受け入れられるようにするために期待を持たせたりはしません。そして、患者さんをこれ以上頑張らせる必要はないこともさりげなく伝えておきたいですよね。
あまりにも「頑張れ!逝かないで!」と応援されるのは、患者さんもご家族も医療者もみんな苦しいですよね。あるあるかもしれませんね。
この相談はよく受けます。呼吸が止まりそうな患者さんに「ダメ!まだ頑張って!」と泣き叫ぶご家族になんて声をかけるのが正解なのか?
\ 私の経験上、1番効果があったのはこの声掛けでした /
人間の機能で最期まで残るのは聴力なんだそうです。
私は○○さんに「頑張ったね、ありがとう」って伝えたいです。
今なら絶対にご家族の声が届くと私は信じています。
十分頑張った○○さんに最期に伝えたい言葉はありませんか?
この声掛け、騙されたと思ってやってみてほしいです。
あんなに「頑張って!」と泣き叫んでいたご家族が「沢山思い出をくれてありがとう。」とか「忘れないよ。愛してるよ!」という言葉に変わるんですよ。
これぞ看取りのケアだと思います!
そのまま頑張れと応援したまま亡くなった場合、残されたあとも生きていかなければならないご家族のその後はどうなるでしょう?
逆に、感謝を伝えて送り出してあげられたご家族の場合はどうでしょう?
同じく大切な患者さんを亡くしたご家族でも、看取りが肯定的な経験になるのは、絶対に後者です。
いろいろなご家族の形がありますから、100%の正解はありません。
何も伝えられない看護師のままでいるのか、それとも一歩踏み出して患者さんと家族の心を癒やそうとするのか。どちらでもあなたの決断次第です。
ですが、がん看護に携わるのであれば、この看護の醍醐味を絶対に味わってほしいと私は思っています。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、一般病棟でがん看護をしながら、新人指導に携わっている3~5年目看護師さんにどうしても伝えたくてこのテーマを選びました。
看護師5年目というと役割が増えてきて忙しいし、後輩の育成を率先して行うことが求められますよね。その中で、私も同じく自分の看護に自信がなかったことから、配置換えを希望したし転職について考えた時期でもあります。
みんな同じような悩みを抱えているということがわかっていただけたでしょうか?そして、簡単ではありますが、臨死期のケア(特にご家族とのコミュニケーション)についての知識は深まりましたか?
緩和ケアの世界には答えがないものなのか?それとも答えがいくつもあるのか?5年目の頃の私はそれが知りたくて看護師を続けることを選びました。
私たち看護師にできることは、微々足ることかも知れませんが、それで救われたという患者さんやご家族がたった1人でもいてくれるのならば、私たちが看護師を続ける意味はあるのではないかと思っています。
まだまだ、死亡宣告のときの対応についてなど、看取りのケアに関してお伝えしたい項目はたくさん残っています。
もしどなたかの参考になったら幸いです。
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一般病棟でもっと緩和ケアが提供できる看護師が増えることを願っています。
この本もわかりやすくてオススメです▼
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