Last Updated on 2023年12月1日 by 村上志歩美
あなたは大切な人を失った経験がありますか?
「失う」というといろんな受け取り方があるかもしれませんね。
今回の「失う」に関しては、「亡くす」「死別」という意味で質問しました。
大切な人を「亡くした」経験がある方は、そのときどう立ち直りましたか?
もしかすると、まだまだつらくて生活が立て直せていない方もいるかもしれませんね。
私は初めての妊娠で喜んでいたのもつかの間、2022年の7月に我が子を亡くしました。
初期流産は遺伝子の問題で、私の行動が原因だとは言えません。
ですが、せっかくおなかに宿った尊い命を育てられなかったことは私を苦しめました。
深い悲しみと苦しみ、誰のせいでもないという事実。
絶望の淵から立ち直る方法はいまだに見つけられずにいます。
今回「遺族ケア」というテーマを取り上げることは、私にとって苦行でもありました。
私が1年以降経過した今でも我が子を亡くした悲しみを乗り越えられていないからです。
ですがやはり、緩和ケアを学ぼうとする看護師さんには絶対に「遺族ケア」は知っておいていただきたいのです。
大切な人を失った人に対してかける言葉に100%の正解はありません。
ですが、私が大切な人を亡くした人にかける言葉は「つらかったね」が一番だと思います。
今回は私が流産を経験したときに感じたことをメインにお伝えしたいと思います。
遺族ケア・グリーフケアとは
配偶者や子供、親などの家族、親しい友人などと死別した人が陥る、複雑な情緒的状態を分かち合い、深い悲しみから精神的に立ち直り、社会に適応できるように支援することをいう。
小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
大切な人を亡くしたあとに遺族が立ち直っていくプロセスをサポートすることがグリーフケアなのです。
病院を離れてからサポートすることは非常に難しいため、病院にいるときにできることを全力でしておきたいですよね。
私は祖母をがんで亡くしていますが、勤務中であり帰ることが許されませんでしたし、当時は忌引きももらえませんでした。
相当なおばあちゃん子だったので、祖母が亡くなるときにそばにいられなかったことは悔やみました。
葬儀に参列してすぐに帰宅しなければならず、ゆっくりとお別れができませんでした。
本当に亡くなったのか受け入れるまでに時間がかかったように思います。
数年後に帰省したときに「あ、本当にもういないんだ」とようやく理解したような状況でした。
大切な人を失った事実は、案外こんな風に時間が経過したある日、ふと受け入れられるものなのかもしれませんね。
私が流産をしたときの喪失体験
私は流産したあと「あの夜勤のときの働き方が悪かったのかな?」と何度も自分を責めました。
産婦人科では「赤ちゃんどれくらい大きくなったかな?」と成長を楽しみに待合室にいました。
同時に「ちゃんと成長しているかな?」という不安もありました。
産婦人科にご夫婦で来院されている方もいますが、妊婦さんひとりで来院している方もいます。
私はその日、ひとりで妊婦健診に向かいました。
楽しみですね。エコーの動画を撮っていいですよ。
先生の声かけにとてもほっとしたのですが、すぐに「赤ちゃんの心拍が止まっています」と告げられました。
そして、他の医師にも診察してもらい「子宮内胎児死亡」と診断されました。
私は頭が真っ白になっていますが、そのまま流産手術の流れの説明を受けて、予約をしてから産婦人科をあとにしました。
会計を待っている間、おなかの大きい妊婦さんを見ては「私は育ててあげられなかった」「まだ赤ちゃんはおなかにいるのに亡くなってるなんて信じられない」「夫になんて伝えよう」「職場になんて伝えよう」と考えていました。
このとき、私のそばに寄り添ってくれた看護師さんはひとりもいませんでした。
診察室で私が泣かなかったからだろうと思っています。
看護師さんに覚えておいていただきたいのは、泣いたりわめいたりしていないからと言って、患者さんが苦しんでいないとは限らないということです。
「苦しい」とか「悲しい」とか「つらい」とか言葉にしなくても、静かに傷ついている患者さんに気づいてほしいと思います。
数日前まで一緒に生きていた我が子をあっという間に亡くしたのです。
子どもの死亡が告げられた母親にそっと寄り添ってくれる看護師さんがいなかったことは、同業者としてとても残念でした。
「泣いていない=強い人」ではありません。
後日、流産手術を受けました。
手術が安全に行えるようにだとは思いますが、手足を診察台に拘束された状態で、看護師さんたちは「照明これくらいでいいかな」と私にライトを当てました。
このときに私は「母親になりきれなかった私には人間としての尊厳さえないんだ」とひどく傷つきました。
子どもを失った悲しみを聴こうとしてくれた看護師さんはひとりもいません。
流産の診断や流産手術を受けたときに、悪意のない看護師さんの言動に傷つけられたことだけは私はおそらく一生忘れないと思います。
私はその後どう過ごしたかというと、しばらくは産婦人科までの道を通れなくなりました。
たった一言でよかったんです。
つらかったでしょう。
ただ、大切な命を失った私に「つらかったね」と一言かけてくれるだけでよかったんです。
流産手術を受けたあとも現実が受け入れられずに毎日泣いて過ごしました。
流産後の私を救ってくれた本はこちら▼
絶望の縁にいた私は、この本にどれだけ救われたでしょう。
泣きながら、ときどきクスッと笑って読みました。
もしも流産をした奥様にどう関わったらいいか悩んでいるご主人がいたら、「つらかったね」とハグしてこの本を一緒に読んでほしいです。
賛否あるかもしれませんが、私と同じく流産を経験した方が救われているのは事実です。
医療者に求められる遺族ケア
当然ではありますが、つらい話をする場合は突然告げられるよりも「つらい話をしなければならない」と先に伝えてほしいものです。
そして、「つらい話をするけれど、ひとりで聞けそうですか?一緒に聞いてほしいご家族がいますか?」と尋ねてほしいです。
がんの患者さんだけに関わらず、バッドニュースを伝えるときは十分配慮が必要です。
医療従事者にとっては、患者さんは絶えずに入退院してくる存在です。
2人に1人ががんになる時代ですから、医療従事者は「がん」という病気は珍しくないと思っています。
ですが、患者さんにとっては「まさか自分が・・・」と思う病気なんです。
看取りだって医療従事者は何度もその場に居合わせます。
ですが、実際に自分の大切な家族を何度も失ったわけではありませんし、大切な人を失った経験がないことだってあります。
私も流産を経験したとき「どうして私が?」という気持ちから抜け出せませんでした。
ですから、「誰も悪くないよ」という言葉もなかなか受け入れられませんでした。
夫は「妊娠したときからなんとなく嫌な予感がしていた」と言い、私はこの言葉を今も忘れられません。
大切な人、大切な命を失ったばかりの人はとても繊細ですから、何気ない一言で深く傷ついてしまう可能性があります。
つらい経験は時間が解決してくれるというのは正解だと思います。
ですが、医療従事者であればそこをもう一歩踏み出してほしいです。
大切な人を失った人に対して、私たち看護師が言える大正解の言葉は「つらかったね」の一言に尽きると思います。
その状況によっても違いますが、私は「つらかったね」の言葉をかけてもらったときに「私のありのままの感情を受け入れてもらえた」と感じました。
なぐさめようとか励まそうと言葉を探すより、そっとそばにいてくれることが力になります。
病院勤務の看護師であれば、看取りから退院(葬儀屋のお迎え)まであまり時間がかからないことをご存じでしょう。
最短1~2時間程度で葬儀屋さんのお迎えがきます。
私たち看護師にとって、遺族のケアができるのは葬儀屋さんのお迎えがくる1~2時間の間しかないんです。
遺族のつらい気持ちをありのままに受け止めてください。
私は流産手術のあと「2時間ほど安静にして動けるようなら帰っていいですよ」とだけ言われました。
たった今、産声をあげることのない我が子を自分の子宮から取り出したあとです。
最大の悲しみを感じている母親に対する声かけとは思えませんよね。
これが、看護師、プロフェッショナルの言葉か・・・と思うとやるせなかったのを思い出します。
一番つらかったときの医療者の言動は、死別を経験した数ヶ月後であっても鮮明に記憶に残るのだということを学びました。
「何を伝えたか」ではなく、「どれだけ思いを込めたのか」が大事でしょう。
私はこれまでにたくさんの患者さんを看取ってきた経験がありますが、実際に自分が大切な命を失う経験をしてはじめて遺族の気持ちがわかった気がします。
つらい経験をしている方にそっと寄り添ってくれる看護師さんが増えてくれることを心から願っています。
コメント
昨年末に妊娠が分かり喜びも束の間1月下旬に赤ちゃんの心拍停止が分かり流産となりました。そしてつい先日流産の手術を受けました。
涙を来られ淡々と受け答えをし、冷静を装い手術を受けましたが看護師さんからは必要最低限の声かけしかなく悲しく感じました。またそのクリニックに行かなきゃ行けないと思うと苦痛です。そんな時にshipoさんの記事にたどり着きました。
看護師さんにとっては数多くの患者の1人と思われていたことが悲しかった。ほんとにそのまま私の気持ちが書かれており涙が止まりませんでした。
私は看護師さんではないですが、福祉の仕事をしており利用者様の看取りに関わることがあるので数多くの患者さん利用者さんの1人として見るのではなく、大切な誰かの1人として思いやりを持って関わっていきたいと感じました。
このような記事を書いてくださりありがとうございました。
ひかるさん
コメントありがとうございます!
ひかるさんもつらい思いをされたんですね。この深い悲しみは当事者にしか理解できないことですよね。
自分を責めてしまったり、誰かのせいにしてしまったり、私もまだまだ未熟なので、気持ちの落とし所を見つけるのにとても苦労しました。
術後の経過を見てもらうのも嫌になる気持ちが私も本当に痛いほどわかるんですよね。私は産婦人科までの道を通るだけでもフラッシュバックしてしまいましたし、あの道を落ち着いた心で通過できるようになるのにしばらく時間がかかりました。看護師さんの対応って、私たちが日常を取り戻していく経過にすごく関わるんだと思います。ひかるさんも残念な対応をされて傷ついたでしょう。じっと涙を堪えていても、心では大号泣している人もいますからね。
『流産手術を受ける患者』ではなく、『我が子を亡くして傷ついている一人の母親』として接してもらえたら、どんなに気持ちが救われただろうって今も思います。ひかるさんのおっしゃるとおり、患者さんや利用者さんを大切な誰かの一人として見ることって本当に大事なんだと思います。
わざわざコメントをくださったそのお心遣いがとても嬉しいです。今とてもつらい時間を過ごしているでしょう。そんなときに自分のお気持ちを言葉にして誰かに伝えることって、とても勇気のいることだと思います。
ひかるさんの術後の経過が順調に進むことをお祈りしています。今は無理をせずに、悲しい分だけ泣いて、疲れたら寝て、お腹が空いたら食べてくださいね。今は誰よりも自分ファーストで過ごしましょう!!コメントありがとうございました。
SHIPOさん
ご丁寧なご返信ありがとうございます。
赤ちゃんは流産の場合でも必ず何かを伝えるためにお母さんのお腹にやってくる。と本に書いてあるのを読みました。そしてSHIPOさんの記事に辿り着きました。
悲しみで泣いてばかりの日々を過ごしていましたが、ようやく赤ちゃんが私に伝えたかったことが分かったような気がします。
もっと周りの人に優しさを持って寄り添うこと、悲しみを感じている人の悲しみへ共感することを教えてくれたのだと思います。
同じく流産を経験された悲しみを抱えたお母さん、そして流産に関わる看護師さん、お医者さんにこの記事が届いたらいいなぁ。と思います。
悲しみを経験したSHIPOさんの願いや思いがどうか広がって傷つくお母さんが少しでも減ってくれたらと思います。
温かく優しい言葉をたくさん掛けて下さりありがとうございます。
少しずつゆっくりですがSHIPOさんのおかげで前を向けそうです。
ありがとうございました。
ひかるさん
赤ちゃんが私たちに何を伝えたかったのか考えるだけで心が救われる気がしますね。私は無理して働いてきたので、自分を労るように伝えに来てくれたのかな?と思って仕事を辞めました。おかげで人間らしい平凡な暮らしを取り戻せた気がします(^^)
泣いてばかりの日々ですよね。仕方ないです、悲しいし寂しいんですから。それだけ大切だったんですからね!
泣く時間が短くなる頃には、自分のことが「赤ちゃんを失ったことを忘れるような薄情な人間」のように思えて苦しくなる日もありました。たぶん立ち直るなんてことは一生できなくて、ふと思い出して急に悲しくなったりするんだろうと思います。ちなみに私は今日まさに思い出して泣きました(´・ω・`)
ひかるさんもきっとこれから先、乗り越えたと思ったあとにふと悲しくなる瞬間がくるかもしれません。でもそれって、産んであげられなかったけど、しっかりお母さんになっていた証拠なんだと思います。
私のつたない文章でひかるさんのように共感してくれた方がいると思うと嬉しいです。お互い少しずつ前進できるといいですね。そしていつか赤ちゃんを抱っこしてあげたいですね!
今日は本当に嬉しいコメントをありがとうございました。